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  • 美波

スイッチを押した人



幼少期から先生という存在が好きだった。


もちろん「先生」という肩書きの人全てに当てはまる訳ではないが、

お、この人はという先生が何かの節目で現れる。


今回は、ヨガの先生のはなし。


***



バイロンベイで出会ったヨガの先生が言っていた。


日本人は誰であれ先生という存在に対してまずは敬う文化があるから、それはこちらの姿勢も正される、と。


確かにと納得したが、私がこんなにヨガが必要不可欠になったのも

2人の先生がきっかけだった。


***



1人目は7年間通っていたヨガスタジオの女性の先生。


私が通っていたのは、複数の店舗を持つ大型スタジオだった。


何人もの先生がいたが、最終的にその先生のクラスしか受けなかった。


その先生はスタジオ所属ではなく、フリーランスで活動していて、毛色が他の先生とちょっと違った。



ヨガを教えることへの情熱と、生徒に対して大きな愛情を持っていた。


指導もクラス構成も厳しく、翌日は全身が超筋肉痛になる程だった。


クラス前は、よし気合い入れていこう、と自分を奮い立たせる必要があった。笑


何のための気合いか今となってはよく分からないが、確実にヨガの入り口を開いてくれた。


***



当初ヨガを始めたのは、運動不足解消とダイエット目的。


本当になんとなく始めたから、最初の数年はただのエクササイズとして通っていた。


ゆっくり流れるアーサナ(ポーズ)を取りながら、頭の中は雑念だらけ。


あれもこれも、と次の予定で脳内は満タンで、ヨガ中は暇とさえ思っていたし、

イライラもしていた。


このポーズに何の意味があるのか?頭と心を無に?もっと激しく動きたい、

といったような調子。


それでもなんとか地道に続け、アーサナがある程度できるようになった頃、

中級レベル以上と設定されていた例の先生のクラスを予約してみた。



いざクラスに入ると、厳しい指導が飛び交っていた。


生徒も何だか本気モード。

この熱気は一体。。


常連生徒ばかりの中、ニューフェイスの私を先生は気にかけてくれて、優しくも厳しく指導した。


仕事で精一杯、ここでもこんなに求められるのかと唖然としたが、負けず嫌いの性格も相まって必死に食らいついた。


それはあまりに必死だったのだろう、クラスが終わったら、その先生は'よく頑張ったね'と決まって私のお尻をポンポンと叩くのだった。



その頃は、ヨガはアーサナ(ポーズ)をするもの、とまだ思っていた。


元々身体が硬いから、できないものがほとんど。


周りでアームバランス、ヘッドスタンドなど軽々ひっくり返ってる生徒を見ると、

くそーとなるのだった。


目の前にできそうでできないものがあると、どうしても追求したくなる。


力の入れ所、抜き所、できるようになるまで根気よく教えてくれる先生。


アイアンガーヨガに長けている先生だったから、プロップス(紐やブロックなど)を用いた指導が特にうまく、目に見えてアーサナができるようになって行くのが病みつきになってしまっていた。



そして、その先生がクラス中にポロっとこぼす言葉が考えさせるものだったりして、

ヨガって面白いかもと思いだしていた頃。


気づけば、それは忙しい生活の心の支えとなっていた。


次のクラスが楽しみで、逃さないように仕事を必死に片付けていた。


1時間のクラスに集中すると、心がすっきりして、また仕事に戻ることができた。


それでも、掴めそうで掴めないヨガの根本が気になって、休職をしバイロンヨガセンターで

ヨガ講師育成コース(RYT200)へ参加することになる。


***



そこで、もう1人の先生と出会う。


初めてその先生を見たとき、独特の吸引力と不思議なオーラに、単純に興味が湧いた。

明らかに何かが違っていた。


初めて受けたその先生のクラスは衝撃だった。

日本で散々厳しく指導されていたアーサナのスキルよりも、心のあり方に重きを置いていたから。


ヨガ講師育成コースだから、アーサナについても詳しく習ったが、どうしても違う所に着眼してしまう。



息を吸って吐いて、右足を手と手の間に、手を上げてなんていう指導よりも、その先生が放つ言葉にただただ耳を傾けてしまうのだった。


(名誉のために、その先生は誰よりもアーサナのスキルも高くまるで教科書)


その言葉とクラスを包む雰囲気は、硬くなった人の心を溶かすような、泣けてしまうくらいの優しさだった。


泣けるなんて、私はどんな精神状態だったのか?と今となれば自分でも笑ってしまうが、

実際疲れていたんだろう。


大丈夫と言われたような気がして、ほっとしたのを覚えている。


多分それは私だけでなく、一緒にコースを受けていたクラスメイトもそうだったはず。

それは、圧倒的なカリスマ性。



それから、すぐにスイッチが入った。


コース中にヨガ哲学というものを知り、呼吸と身体を連動させる気持ち良さを知り、

奥が深いヨガの根本を掴みたくてヨガセンターにいる色んな先生を観察した。


ヨガは自分を写す鏡で、その人のヨガをする姿勢を見るとどんな人か大体わかってしまう。


と、同時に私が今までひーひー言いながらアーサナを練習してきた姿を思い返すと、それは私の性格そのものだった。



一方、その先生から習ったヨガは人と比べる必要も競う必要もなく、ただ自分の練習に集中するということ。


そうすると、自分のことが手に取るようにわかるということ。


アーサナはヨガのほんの一部分に過ぎず、ヨガをすればするほど、物事の本質が浮き彫りとなるということ。


肉体よりもメンタルのものだった。


その時の私は、日本で働くことに集中していたから、勝つこと稼ぐことばかり考えていた。

だから余計にコース中は色んなことを考えさせられた。


そして、自分なりにヨガの根本となる答えを見つけたのだった。



そのきっかけとなった2人目の先生は、今もまだバイロンベイで活躍するBecという先生。


***


ついでの海外出張も加えて1ヶ月の滞在後帰国し、日常に戻っていった。


私を昔から知る友人は帰国後の私に対し、まるで水を得た魚状態、昔に戻ったねと目を細められた。


自分でも何かが動いたのを無視できなかった。


それから約1年後、再び渡豪し、ヨガ講師育成コースを受けたバイロンヨガセンターで住み込みの生活をスタートさせた。(そのブログはこちら


2回目の滞在では、Becの更に師匠からも頻繁にヨガを学ぶようになり、

その師匠の凄みに圧倒されて、いつの間にか2人は私のメンターとなっていた。


***



一時帰国中に、きっかけを作ってくれた1人目の先生の元で久々にクラスを受けてみた。


あの熱血指導は健在で、相変わらず熱心なクラスだった。


ただ、知らぬ間に自分が求めるものが明確になっていて、休会していたそのスタジオをあっさり解約した。


その先生が悪いのでは全くなく、ただ私が変わってしまっただけ。


変わったというよりは、戻ったという方が多分正しい。


自分の変化にも驚いたし、これから日本でまた新しい先生探しをしなければと頭を悩ませる。


自分で極めるものでもあるが、学び続けなければ鈍ってしまう。



私のメンター先生からは、ヨガを通して人としての姿勢を学んでいる部分が大きいから、

そんな先生は早々現れないだろうということは既に私も気づいている。


さて、私もそんなきっかけとなる先生になれるだろうか。


私の修行はまだまだ、一生続く。


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