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  • 美波

臨月に想う

お腹に命が宿ったとわかったのが、2019年の初秋。

そこから、次々にいろんなことがあって、ようやく臨月を迎えることができた。安堵感が強い。

もうすぐ、女の子が誕生する。

せっかくなので、備忘録も兼ねて赤裸々に書き留めておこうと思う。

いつかは母になりたいと思っていたけれど、このタイミングだったというのは、きっと何か意味があるのだろう。


綿密に計画を立てて人生設計をするタイプではないが、最後の悪あがきと決めて1年半前に渡豪した。

長年付き合った人と籍を入れてから半年後、どうしてもヨガ生活に没頭してみたかったから、半ば強引にバイロンベイへ行った。

彼はきっと好き放題決めた私に対して、仕方ないという諦めだけでは消化しきれなかったであろう。最終的に応援してくれたから、感謝の一言に尽きる。


そして、約9ヶ月のヨガ生活を終え、帰国。

帰国後は、有難いことにヨガの先生としてやりがいを感じ、一つの仕事に区切りがついた時に妊娠がわかった。

妊娠検査薬を買いに行って、真ん中に線がうっすら出たときは、人生で感じたことのない不思議な気持ちが身体中を走った。

そうか、わたしは母になるのか。

そして、直感的に、あ、女の子が来てくれたと思った。

その日の夜、夫に告げたとき、動揺して手元にあったえびせんをすごい勢いで食べだした面白さは一生忘れないだろう。笑

そこから、前触れもなく始まったつわり。正直、こんなにきついなんて知る由もなく。

妊娠がわかったのが5週目で、そこから26週頃までピークは続いた。 最後まで悩まされたのが吐きつわり。それから、匂いつわり、食べつわり、よだれつわりとフルコース。

部屋の電気やテレビ、スマホの明かりもNGで、何をしていても1日中吐く生活は正直痺れた。

カーテンを閉め切って、お風呂も入らず、ベッドの上でうなだれる日々。

いつか終わりは来るのに、その終わりが見えないからこそ、本当に気が滅入ってしまった。

ただただ、カーテンの隙間から刺す光をぼーっと眺めていた。足の位置を少し動かすだけで、嘔吐する自分の体は訳がわからなかった。

一気に6kgほど体重が落ち、筋肉もどこかへ消え、こんな辛いなんて妊娠しなければ、、なんてひどいこともよぎったりして。

夫には、なるべく空気でいてほしかったから、話しかけることも拒否し、ゾンビのようと揶揄された。笑

そんな時、妊婦検査の一貫で発覚した子宮頸がん。

産院から、至急伝えたいことがあると呼び出され、血液検査前にバナナ食べたからひっかかったか〜くらいの軽い気持ちで向かった。

医師から、子宮頸がんの疑いが高いから総合病院で精密検査を受けるようにと言われた時は「ガン」という言葉の重さに絶句した。

毎年欠かさず、子宮周りの検査は受けていて異常なしが続いていた。

産院からの帰り道、つわりで吐きながら、気づけば泣いていた。

吐きつわりのピークも重なって、根明な性格もさすがに折れてしまった。

あろうことか、弱りすぎて初めて自分の人生が嫌になってしまった。

後日、精密検査の結果すぐに手術をという診断で腹をくくった。

手術をすることで、早産になる可能性や様々なリスクはあれど、子は無事だということ。

多忙を極める夫と話し合った結果、実家近くの病院で手術をすることにし、その足で新幹線に乗った。

セカンドオピニオンも聞きたかったから、新しくお世話になる大学病院でも精密検査をした結果、すぐに手術は不要という診断結果が出た。

母体は大丈夫だから、3ヶ月置きの精密検査を続け、赤ちゃんの安全を最優先したほうが良いとのことだった。

迷わず後者をとった。

それから、3ヶ月後の精密検査の結果、なんと悪細胞は消えていた。

ただし、摘出した細胞箇所がたまたま陰性だっただけで、産後の精密検査で異常があった際は手術が必要ということ。

いずれにせよ、幸運なことに妊娠中の手術は間逃れたのだった。

この時、ちょうど妊娠7ヶ月。

誰かが守ってくれた。

痛みを知って、人の気持ちがわかるというけれど、これほど痛感したことはない。

健康に産んでくれた両親のおかげで、大きな病気とは無縁で生きてきた。

衣食住、当たり前の生活ができないもどかしさ。

そんな時に周囲の人が優しくかけてくれる、たった一言にどれだけ救われたか。

人に寄り添うことができる懐の広さと心の強さ。

街ですれ違う笑顔の人も、裏では何かを抱えて生きているだろう。

お腹に子供が宿ったことで、改めてこれからの指針を与えてくれた気がしている。

大きなギフトを運んできてくれた。

7ヶ月を迎える頃、ようやく吐きつわりも落ち着き、やりたいことリストを消化しようとしていた矢先、コロナ騒動が始まった。

もろに影響を受けた夫の仕事も緊張状態が続き、私も日夜ヘルプに邁進した。

気づけば夜が更けている生活がしばらく続いた。

そして、仕事も落ち着いた今、実家に帰ってきて里帰り出産の準備をしている。

コロナ禍で立ち会い出産も面会もNGとなったが、こればかりは仕方がない。

子は時がくれば産まれてくるし、母の役目として俄然やるしかない精神でいる。

この時期をあえて選んで産まれてくるんだから、きっと逞しい子であろう。

ラッキーくじをひいたくらいの気持ちでいたい。

と、強がりを言いながら、産声をあげて産まれた時のことを想像するだけで既に涙ぐんでしまう母である。

色んな感情が溢れて仕方がない。

「無事出産しました。母子ともに健康です。」

というのは聞き慣れた言葉だが、裏には十人十色、きっと様々なドラマがある。

私にとってのこの10ヶ月は、とてつもなく長く、心が揺れた歳月だった。

今まで自身の選択を最優先としてやってきたが、誤解を恐れず言うと初めての不自由を味わった。

お腹で命を育てる過程は神秘でもあるが、そんな綺麗な言葉では言い表されない。

そして、その過程は母になるという自覚を痛いほど与えてくれたのだった。

そうか、私は母になるんだ。

心から守りたいと思うものができたのだ。

もうすぐ対面できる我が子への願いはただ一つ。

どうかどうか無事に産まれてきて、ということ。

母は見せたい景色がたくさんあるよ。

周囲の支えに感謝して、今は指折その時を待っている

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